名古屋と旅と、ときどきひとり言 〜ことばで残したい〜

最初は結婚式の準備を書きたくて始めたブログですが、主に私の日記です。未来の自分へのプレゼントとして書き残してます。昨年の12月から今年の3月まで東南アジアを旅してました。今は名古屋にいます。

【北海道】滝本さんの登別温泉の歴史の始まりのお話に感動した 

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今年の6月、北海道に初めて行きました。10日間の旅でしたが初北海道、すごく良かったです。 名古屋から飛行機で函館→大沼公園洞爺湖→登別→名古屋へという旅程でした。 札幌も行きたかったけど、時間がなくてまたの機会に。

北海道では毎日温泉に入ってお肌がツルツルに。 お肌のコンディションがすごく良くなりました。 どこの温泉もそれぞれ良かったのですが、偶然見つけた登別温泉の始まりのお話がすんごく素敵だったのでここで紹介したいと思います。

登別国際観光コンベンション協会のホームページより

noboribetsu-spa.jp

登別の語源は 弘化2年(1845年)には北海道の名付け親でもある松浦武四郎登別温泉を訪れ、その魅力を綴っています。 当時はまだ道らしきものもありませんでしたが、後に安政4年(1857年)からは近江商人の岡田半兵衛が道路を開削。 後には湯治の祖と呼ばれる滝本金蔵が温泉宿を建て、新しい道(現在の道筋)を整備し、現在の基礎を築きました。 また名湯の副産物・硫黄の採掘も国の保護政策に加えられるようになります。 第一滝本館のホームページより

takimotokan.co.jp

江戸の大工職人、滝本金蔵は32歳で長万部へと移住。のちに幌別へと移り、駅逓所(えきていじょ)の建設に携わっていた。妻の佐多はひどい皮膚病に悩んでいて、登別温泉の噂を聞きつけた金蔵は佐多を伴い山道を分け入る。そこで治療のためのささやかな湯小屋を建て、湯治をはじめた。 やがて佐多の皮膚病は快癒。その効能を広めたいと湯守の許可を取り湯宿経営を始めた。これが「愛妻の湯」滝本のルーツになる。
> 元来の利用者であったアイヌの人々や、硫黄山の労働者、さらには白老の仙台藩陣屋や南部藩出張陣屋の武士も訪れ、にぎわいをみせる。金蔵は登別に駅逓所を設け漁場経営や農業開拓など多方面で活躍した。

ここに出てくる滝本さんが奥さんのために湯治場を作ったのが登別温泉の始まりということです。 これを読んだ時に、何て素敵な物語なんだろうと、登別温泉に来ることができた喜びをかみしめていました。

写真は天然の足湯です。温泉が湧いていて、ちょうどいい温度でした。 滝本さんの奥さまもこんなに良い温泉、それプラス旦那さんの愛情で皮膚病が治ったんだなあ。

登別温泉の印象は、こじんまりした森の中の温泉地でした。 宿は滝本旅館は満室だったので、登別グランドホテルに泊まりました。温泉もいいし、お食事がすごく美味しかったです。北海道、どこもレベル高いです。

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結婚記念日ということを伝えたら、プロカメラマンさんがロビーで写真をとってくださり、 帰りにフロントでプレゼントしてくださいました。写真っていいなあ。北海道での一番のお土産になりました。